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函館のバル街

函館の「バル街」の催し。回数を重ねるに連れて参加者も増加し、地域への効果、観光のひとつとしての効果も上がっています。函館は何事も始める時は冷ややかな視線が多いのですね。だから何かやる人たちは頑張って回を重ねる必要があります。
そうでなくても地域のイベントはやはり回を重ね、多くの方々の共感を集めないと定着しないんでしょうね。五稜郭祭も30年近く以前は結構しょぼかった。イカ踊りも最初は10人くらいでヒンシュクをかいながら頑張った。
野外劇も野外と言う事で天候に恵まれない年は大変なんですよね。
さて、町の人々の努力で冬フェスティバル・クリスマスファンタジーなども観光効果が見込めるものに成って来ました。
そこであらためて函館が最大の売り物にしているもののひとつ「街並・街路」の充実は??? というと…こちらは相当に拙い状況です。
まず長期にわたる観光開発・街路の充実に関して総合的な「未来計画」がないようです。
もちろん土地の所有・家屋の所有などの権利関係と言った困難な基本性格を抱えています。土地・建物、あるいは街路・街区の整備や計画的建設は巨額な費用がかかる・
だから…簡単でもないし、まー、実に大変なのは、そりゃぁ良く解る。
でも「未来においても観光都市として存在し得る「創造的な総合ビジョン」とそれにともなう「長期的・段階的計画」は考えるべきものじゃないんでしょうかねー。
観光対象地域の人口推移・年齢構造・商業状況など基礎的資料は揃えられるはずだしねー。
どの観光地の昔ながらのものは減少する一方なのです。であれば、復元も含めた新たな創造で育てて行く、創り上げ、守り抜いて行く…と言う事を考えないといずれ消えてしまうのです。
「自分たちの子供や、孫たちもこの町の観光産業に関わりを持って食べていける街」を創造しようと思わないと時間とともに「観光資源」は減少するのですね。
「現在価値ある…と言われいる建物・街並み」も最初は「新たな建設物」だった。ただ、或る時代はイヤでも建築素材・道具・部品がほぼ同じものだったから自ずと街並に統一感が実現できてしまった。
さて、戦後。
社会が豊かになって来て大量生産の安価な新建材が様々できてしまったから、それぞれの予算でいろんなものがまちまちに、ばらばらに出来てしまった。
これも、「仕方ない状況」って言えばそうだったんだけど、本格的な「観光都市」を目指し「国際観光都市宣言」なんてものをした時点で「上質の価値をいかに遺し、充実させて行くか」って事も考えて少しずつ実行してこなければならなかった。
函館は「街の歴史と文化」や「街並と建物」の醸し出す雰囲気、景観的魅力を売り物にしている割には「魅力的景観の創造」と言う点において感覚がずいぶんラフなんですよね。
外に向かって言うほどには街にある「さまざまな良きもの・良き要素」には結構粗雑に対応しているようにしか見えないのです。
「ほんとうに街の歴史と造形・街区の構成と個別の要素」について考えたのかぁ…「ほんとに専門家も含めて考えたのぉ」って言うようなものが「景観賞」なんかもらったりするんだよねー。
「時代変化に対応する街ぐるみテーマパーク」と考えて…建物の配置、街区と道路の演出効果・港街、異国情緒として期待される要素」とか考えて「長期の創造的開発ビジョン」を策定して実行段階に映し、それが街のさまざまな企業の仕事として街が活性化する事をやらないとねー。
バル街の催しが続き、毎年 価値ある・上質の街並も進化するようになると良いのにね。
100年以前の人々は「良き街並」を遺してくれた。今後の100年に良きものをそうソヴし、遺せるか…それはいまの人々の子供たちがやるべき「新たなフロンティア」だと思いますけどね。
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いま読んでる漫画について

現在進行形で愛読している漫画は「信長協奏曲」石井あゆみと、同じ雑誌「ゲッサン」まー、つまり月刊サンデーの略ですけどあだち充のもの、こっちはいまタイトルが…「イチ、二のキュー」だったか、死んだ兄が幽霊となって弟を助けると言うラブコメディー。「信長協奏曲」はタイムスリップした平成の高校生が、ぬわーーーんと、戦国時代の信長とそっくりで入れ替わるのです。
信長を妙に気に入った斉藤道三も実は30年の前にタイムスリップした警官。だから、同じ身の上の信長に好意的にふるまう。
平成のきままな性格のサブローが信長になり、本物の信長は名前を変えぬわーーーーんと「明智光秀」として信長を助けると言う。おなじ戦国の武将松永久秀までがタイムスリップしていたやくざだと言う。信長ものは「仮想戦記シリーズ」も含めてダントツの人気キャラクターだから、いろいろ出てるんです。
さらに週刊雑誌モーニング連載の「僕はビートルズ」これが、良いのです。
平成のビートルズ・コピーバンド4人が1965年にタイムスリップ。
ビートルズより先にビートルズの曲を世に出したら、本物のビートルズはもっと凄い曲を書くのではないか…。と言うので、なーーんと、「ファブ・フォー」のバンド名でビートルズ楽曲を次々にリリース。
ところが遥かリヴァプールの町でこの楽曲を聴いたビートルズは「こんな凄い曲があるのか、俺たちのやる事はない」と…解散、どこかへ消えてしまう。ビートルズなき20世紀にビートルズを聴かせられるのは俺たちだけだ、ビートルズは永遠の時代の青春音楽だった…。いよいよ彼らはそのビートルズがいたであろうイギリスへと行く事になったのですが…実際の歴史でビートルズを世に出したブライアン・エプスタインも登場するらしい…。
実際のポピュラー音楽の歴史エピソードもアレンジして取り込みながらお話は展開します。かわぐちかいじの傑作。それ以外は星野昌之の「星を継ぐもの」原作はアメリカのSF小説。これも原作(星を継ぐもの、以外2册で、全3冊)も面白い…と言うか地球の進化史をからめた傑作。漫画はさらにアレンジを加えて歴史好きにはたまらない展開。
どんな話か…ちょっと短くなんて書けないくらい複雑で、しかも面白いのです。
入り口だけ書くとねー、「月で宇宙服を着た人間の“化石”が発見された。なんと5万年以前のもの。
たしかに遺体は人類の特徴をすべて備えた「人間」しかーーーし、5万年以前にいるわけがない。宇宙服も、文字も人類とは異なるのです。
こうして5万年、さらに何十万年のさかのぼる宇宙の物語と現在の人類の接点は…。ムッフフ、これもSFマニアならたまらない面白さ。
格闘技漫画・月刊マガジン連載・「修羅の門」の新シリーズもあいかわらずグイグイと引きつけます。
前作「海皇紀」が急速に終わって、いまいち不満だったので期待していますねー。
基本的にSFとラブコメディーと歴史ものが好きですねー。
もっとも面白いものが好き・好きな作家のものならなんでもいいんですけどね。
池上遼一は以前の描線タッチの頃が好きです。サンクチュアリとか信長の頃ね。現在は以前の繊細さがなくってねー。妙にごつい線になって人物の顔もねー、描き過ぎって言うか、絵物語風になりすぎてるって言うか。
オノナツメが抜群に良いですね。目下、雑誌モーニングツーに連載の「つらつらわらじ」は描線もキャラクターもこれまでと違っていて、デザイン的にも実によいのです。お話もまー、たくみに構成されています。
この間はめったに読まないはずの「女帝シリーズ」をねー、続編「花舞シリ」ーズまで一挙に何十巻と呼んでしまった。疲れた。
こんな事で、まんがにも没頭しています。

「表現」について考えたりして。

ま、夕暮れも早くなって来てますし、暑い…と言っても微妙に「暑さ」にいまひとつ旺盛な夏の感じはない。つまりは秋へと自然の巡りはたゆまず進んでるってもので、当たり前の事ながら、妙に毎年関心したりするン。
肌寒い…そんな夜もあれば、今夜のようになーんか蒸し暑いよねー…と言う夜もあって、秋へ向かって交互に繰り返してます。細めに窓を開けたり、閉めたり、この加減てぇものが、難しい。開けすぎますってぇと、風邪なんぞひきこむ恐れもあるんで、高齢入り口世代としては、気をつけてます。
あー、唐突な話題ですが、「表現」と言うものについて。9月から、「朗読・ナレーション」などを教えますよ…という高齢者へのボランティア教室をはじめるんです。
別に朗読の専門家ではないんです。ただ「ラジオパーソナリティー」なんてものを20年近くやって来て、自己流ではあるけれど、それなりに「こんな感じなんだな」と言う事は身についてしまったので、まー、本格的なものへの入り口として道案内をしましょーか…と言うものです。
「朗読」も基本的には「明瞭な発音・的確な滑舌・間合い・感情の表し方、雰囲気の表し方・聞き心地の良い発声」ってもので、これ、実は歌のカラオケの基本とほとんど同じなんです。
つまりは「声・言葉による表現」って事では一緒なんです。
ナレーションも同様。
淡々と、均一のリズムで比較的平板に呼んで行く朗読が基本的なものと…どうもされています。
僕のは「趣味・娯楽としての朗読」ですから「声に出して読む愉しさ・心地よさ」にウエイトを置きます。
詩・歌詞・エッセイ・短編小説など、声に出して読むとまた、違った愉しさがあります。
声が違い、読む、朗読する人が違えば雰囲気も違う、読む速度も、間合いも違う…すると「朗読された言葉たち」も自ずと違う風景を見せます。
さて、どんなものになるのか。
「表現する」事が全般的にすきなんですね。絵画・オブジェ・作詞・歌どれも「表現」である事にかわりはありません。「ナニを、どのように表現して、どんなものを伝えたいか」と言う愉しさですね。
人に教えるのも初めて…これも「教える」と言う「ある意志の表現」なんですよね。
若松町の福祉会館で9月17日に最初の集りをやります。皆さんの都合と希望を聞いて、今後のこまかな事を決めよーか…と思っています。では、では。

民主党もねぇ…日本の現状ですね。

かまびすしいのは民主党の代表選挙です。あいも変わらずのドタバタ・右往左往・上を下への大騒ぎ…って様相を低してます。顔ぶれを見ると「これが日本国の総理大臣を“私がやりたい”と言う人たちかねー」と言う、なんとも帯に短し、襷に流し…襷(たすき)です、褌(ふんどし)ではありません。
まぁ、結局どなたにしても国民が選んだ国会議員ですからして、国民のレベル以上の政治家は出ない…って事ですよね。最近政治家が小粒になった…とも云います。平和な時代の政治家なんてこんなものなのでしょう。その程度の方々で国が動いてるって事は、平和なんでしょうネー…とも実は言ってらんない。
東北・関東の未曾有の災害と、原発の事故はある意味、政治家に時代を見抜くセンスがあれば、こんな国の大転換を図れるチャンスはないのです。
日本の経済や社会のありようをガラリと変えるチャンスでもあったのです。
「豊かな社会、とか国民所得の向上」とか云いますが、お金も資産も
本来「幸せに、充足感を持って日々を暮らす」と言う極めて素朴な願いの、「ひとつの方法論、ある必要条件のひとつ」に過ぎない。GDPがどーだろうが、社会に安定感があり、安心と幸福が得られれば、それが最ものぞましいのです。
ある時代、一億総中流とも言われ、世界に誇れる終身雇用制度とまで言われた。しかし、ひとつの到達点には辿り着いたけれど、戦後の「思想なき・理念なき・とりあえず食えるように頑張らなくちゃ経済」は次の「その社会に生きる人々全体の目標・築くべき国とか、社会のビジョン」を持ってなかった。
だから…さらなるお金儲け・更なる国際的地位や評価」なんてものを目指してしまった。
「豊かさを獲得してしまった国や社会のやれる事・やるべき事」つーのが判らないまんま、「これからは世界だ」と、なんだか自己肥大へと意識が向いてしまったのですね。
そこへ「土地・不動産」「金融」「証券取引」なんて言う「投機的・賭博的、バーチャルゲーム的経済手法」が拡大して来たからものだから、ドドーッと社会全体がなだれ込んで行った。
土地を投機の対象にし、無制限に近い売買の対象にするって言うのが基本的にまずい。経済学の定義で、「再生産し得るもの」が「商品」だけど「土地」は売っても、勝手もそこから動くもんじゃないし、「沢山作りましょ」ってわけにも行かない。さらに「金融商品・再件取引」なんてものは基本的にバーチャルなもので乱暴に言ってしまえば「今日から……は幾らに成ったとみんなで思おうねー」って事で成立してる。
土地だって「昨日まで坪幾らって、思って来たけど、今日からは幾らに成ったって、みんなで信じましょうねー」ってとこで成り立ってる。近頃問題になってる中国の富裕層が日本の山林や原野、土地を買う」って事は、「国土の権利を売ってる」わけですよね。幸い、持ち運べないから「一応、そこに存在はしている」んだけど、日本の土地利用に関する個人への規制は甘いから、とんでもない事に使われても、切り崩されたり、大っきい穴ボコ掘られても文句が云いにくい。まー、ニッポンも悪名高いバブル経済時期にはアメリカの土地やビル買いあさったから、文句言えた義理でもないんですけどね。
で、80年代に急速に自己肥大して、妙てけれんな「とりあえず効率よく、利益を上げるゲームの理論」「上手くやったら勝ちっ放しの金融ゲーム」として発達しちゃった「アメリカ型経済理論」または「その手法」にニッポンはよく判らないまま、「これが最先端・最も未来的社会経済…」であるかのように錯覚しちゃって、のめりこんで行った。でもね、「経済学」とか「経済、商業手法」はあくまでも「効率よく、多大な利益を獲得するか」と言うテクニカルタームの世界なんですよね。
「安心と平和、幸せ」を獲得する事とイコールではなかった。「人生の充足感・自己実現の満足」を約束するものでもなかった。
「アメリカ型経済手法と、利益、高収入への“なんでもあり経済”」ってものに懐疑的で、歴史的に別の意識を持ってたヨーロッパは、だから…EUを急ぎ組上げて「ヨーロッパの伝統的秩序感覚」と「暮らし・生きる哲学」を守ろうとした。
で、ニッポンも「どえらい災害」を表面的な「経済損失」とか「復興にかかる費用と時間」なんてものでとらえないで「劣化しつつある日本社会の再構成」「ほんとうに21世紀を生き延びる人と社会」を作り直す「巨大な犠牲と悲しみで得た大きな転換の機会」と受け止めるべきだった。
災害を外交のカードとして、経済システムをガラリとかえるための武器としてたくみに、賢く使うべきだった。
原子力発電の事故を「国家的規模、歴史的時間を要する社会の変革理由」として最大限に生かして、とてもたくみな「経済戒厳令」「緊急避難的方針の大転換」を考え、計画し、「アメリカ型・投機的経済」からの脱却を試みるべきだっだよねー。
でも、そんな感覚も感受性も、センスも…政治学的思考は、まるっきり働かなかった。
戦後、豊かさを獲得したあとの日本人とその社会が生み出したものは「このていたらくの政治家たち」だったんだよね。
この平和な時代に、立身出世と自己の名誉欲、目立ちたくって、お金が欲しい…だけの政治家を生み育てたのは、まぎれもなく僕たち自身、「豊かになったけど、豊かさの使い方が判らなかった日本社会」そのものだったってわけだ。「売り家と唐様で書く三代目」江戸の川柳でも揶揄された、危機感なき、智慧深さのない「のほほんとした良いとこのぼっちゃん・おじょうちゃん」的な日本人のサンプルが「いまどきの政治家」なんだよね。
ナーンて事を、つい考えてしまったのです。

恋歌を唄う男、そして小田純平さん

恋歌を唄う男…と言うのは若林ケンと言うシャンソン分野の方がステージで唄っている楽曲でする作曲は北澤福郎さん…「下北沢でふくろうを飼っているから」が作家ネームの由来だそうで。
作詞がぼくなのです。最初の編曲ができあがり、CD発売用の吹き込みは一応終わっているのですが、まだ発売には至っていません。この最初の編曲のあと、ピアノ&ヴァイオリンでコンサートでの歌唱が評判が良い…のでそのバージョンの編曲音源もできました。でね、この音源を送ってくれたのです。
作詞をした僕自身も歌ってはみたかつたので…練習しなくちゃ、と言う所なんですよねー。
明日、ちょっと練習してみて…案外良い感じなら…ブッフォホッホ…27日に歌っちゃおうかなー。

さて、小田純平さんのコンサートの事もかきましたど、正式に日程がきまりました。
12月6日・火曜日・夜7時から9時か、または9時30分くらいまで。入場料・3500円、安いんですよ。収容人数・270名
ポスター&チケット配布が9月15日くらいからです。サーーーーッ…大変だぁ。
たいへんなんですよ、250名を集める、チケットを買ってもらうって。おださんの知名度、楽曲への知識は函館では、ほぼ「ゼロ」まー、小金沢昇司さんの「神楽坂」とか秋元順子さんのものが知られてるかな。
でも素敵な歌手である事は間違いないのです。
9月後半と10月25日くらいまでにチケットを売らないといけません。目標は220枚。関西からファンの方々も10〜20名くらい来るかも知れません。なにかと、大変だあ。
では、次の書き込みは土曜日の夜あたり。ね。

港街…ロマネスクな物語り

作家の北方兼三は「沼津市」を基本に「酒場・ブラッディードール」シリーズの「N市」を小説の舞台にしました。
彼自身がブラッディードールシリーズに関するインタビューで「主人公のモデルは石原裕次郎」と語っています。
小説全体が、その会話が、男たちの交流が全編、日活映画の呼吸と言っても、間違いではないのです。

さて、僕の「函館・港街のロマネスク……●霧笛が俺を呼んでいる」

繭子が死んだという知らせを、俺はサンパウロで受け取った。
四月といってもひどく肌寒い函館湾に浮いていたと言う。
俺は二等航海士として乗り組んでいる貨物船が函館で修理と艤装変換をやる間休暇をとった。
三ヶ月や四ヶ月で方がつくのかどうか、それは判らなかった。
六月には海霧が海峡の港街にもののけのように押し寄せて、街を包み込む。霧笛がこだましていた。
介護施設にいる繭子の父親を訪ねたが、くどくどと昔話を繰り返し、繭子が死んだ事を自分のせいででもあるかのように俺に詫びるばかりで、何んの手掛かりにもならなかった。
とくに最初の当てがなにかあった訳じゃない。わずかに頼りない噂を拾い集めるように街を歩き回ってみた。
繭子が時折唄っていたと言う酒場へ向かったのは上陸して四日目の夜だった。
湾岸近くの煉瓦倉庫の路地にあるその酒場・錨とパイプ亭はタバコの紫煙と、妙に重たい雰囲気が充満していた。
酒場のマスターも「気まぐれに歌いに来てただけで、本人の事はほとんど知らない」といやに素っ気ない返事だけ
で、ひとりの女が湾内に浮いて死んでいたと言う事件の割に好奇心すら示さなかった。
カウンターでバーボンを飲んだ。ふいに低い声で隣の女が俺に話かけてきた。
「繭子の事を探らない方がいいよ。できたら街を出た方がいい…。一度だけのおせっかい…。無駄にしないでね」
女はそう言うと、俺にちよっとだけ一瞥をくれてカメラバッグらしいものをゆすりあげて出て行った。
何故か後を追う気にはなれなかった。また近いうちに会うような気がしたからだ。
空いた隣のスツールに男が座った。
革のハンチング。妙に頬の膨らんだ、目元がニヤニヤ笑いを浮かべたようなヤツだ、チェシュアキャット…確か
アリスの不思議な国に登場する猫だ。笑いだけが宙に浮いている…そんな感じがする猫だった。
この男もどうやら俺に親切な忠告をしたいらしい。

「俺はコルトのジョー…ま、そんなふたつ名前の家業さ。で、そりゃ…世の中ってやつはいつだつて不条理なものだ。知りたくても、探ってはいけない真実ってものもある。健康で明日も生きていたければ、そのうちささやかな幸せってヤツのかけらくらい手に入れたければ、街を出な。あんたの探し物は…何一つ出やしない」
「幸せ…ね。随分とやわなセリフだな。そんなものには縁がないってツラのヤツには似合わないぜ」
「いんゃぁ…ま、慣れない忠告なんてものをするのも、俺の主義に反するからな。だが仕事の一貫ってやつで、一応伝えろと…そう言われたのさ。俺は以外に律儀なんだ」
「伝えろ…か。その伝言ゲームの好きなやつに会いたいもんだ」
「ひとこと言って、気を変える男じゃないよな。近頃雑用が多くていけねぇ」
コルトのジョーと名乗る男はオン・ザ・ロックを飲み干すと「じゃ、確かに伝えたぜ」
そう言ってやはり霧の深い酒場の外へと消えた。

と…こんな話を空想するのも日活アクション映画にのめり込み過ぎたからでしょうか。
さーて、この後…どうしょう。考えてないんですよね。

小田純平の函館コンサート

小田純平さんと言う作曲家でシンガーの方がいます。秋元順子さんの「心のギター」「かくれんぼ」とか、
小金沢昇司さんの「神楽坂」キム・ヨンジャの「かんにんや」とかの作曲者で、もちろん作曲作品は沢山あります。
で、歌手でもあって、大きな規模のコンサートもやってます。
僕は「三年待ち屋」と言う楽曲で知りました。この「三年待ち屋」には「た・か・ら・べ」など合計3曲が収録されているんです。
函館でライブを…と言う事で12月初旬に(3日か4日)に金森ホールを現在折衝中。250〜270人収容の湾岸の赤煉瓦倉庫を改装した雰囲気は最高の会場です。
歌の表現はさまざま・歌手それぞれの個性、つまり…まず声、そして節回し、独自の雰囲気などで同じ歌でも見える風景や登場人物のイメージなどが違って来ます。
小田純平さんは魅力的なシンガーのひとりです。
聞いて損の無い、いや、聞けばとても感動的な歌唱ですよ。えーっと…見た目はねー、漫画家の松本零士をうんと若くした感じ。ハッハハマニアックなたとえで判りにくいかな。
さて、どうなるか。今後の動きを時折レポートします。

歌の事、その3になっちゃいました。

また、またまとめて書こうかと思ってますが、歌謡曲・シャンソン・スタンダードジャズなど、好きな歌は数多くあります。最初に震えるような想いできいたのがハリー・ベラフォンテでした。ことに「グリークシアターコンサートの2枚組アルバムは絶品でした。次に何故かアイ・ジョージに坂本スミ子と言うラテン歌手、ここから逆に本家のトリオ・ロスパンチョスを知りました。そしてスタンダードジャズの数えきれないくらいの名曲・名歌唱ですね。
妙なのが…って言うと悪いけど特に名を挙げるとボビー・ダーリンにディーン・マーチン、ヘレン・メリル、ジュリー・ロンドンとか…まぁ、切りがないですけどね。
それから急転直下…何故か歌謡曲にのめりこんでしまいました。
ガバッと途中省略して、し過ぎだけど…要するに、様々な歌はどれが良いとか、悪いとかはないのです。あるのは個人の好き嫌いって事でしょう。
で、さまざまな歌にはまた、さまざまな歌手ごとの声と表現があります。さらには歌手・芸人としての型の違いもあって、単純に比べられるものでもない。
日本歌謡曲で随一と思うのは「ちあきなおみさん」です。「美空ひばりさん」は別格の存在。これは時代との関わり方が、またおかれた時代性と環境が違いすぎる。
でもひばりさんが内心最も気にしていたのはちあきなおみだったらしいのです。僕が上質の表現者だと思うのは北原ミレイ・豊島たずみ(ボサノバ界の人です)森進一・小田純平・原田ヒロシ・ある期間に限っての都はるみ・シャンソン分野の若林ケン…と、まぁ、これもどの部分を、どう評価するかでまた違って来ます。中島みゆき・五輪真弓・高橋真梨子などもため息が出るほどいいですよね。
これがユーミン…となると歌手としての巧緻はもう関係ない。これもカルチャーヒーローとしての楽曲群と時代の中の文化発信の評価になります。
知られてない方で新井英一などもすごみのある表現者であり、魅力的な歌い手です。
ここには書ききれないくらいの見事なシンガーは多いものなんです。
カラオケ時代のいま、こうしたプロの歌手のほんとうの魅力への理解が逆に薄れているのが残念ですね。
さらに日本のラジオ・テレビという芸能を扱うマスコミとかブロデュース企画に問題があって、広く真価を知られない歌手もほんとうに多いようです。
まーね、これはレコード業界も同じだけど。
歌の数だけ作詞・作曲・編曲の素敵な世界があり、それをさまざまな声と表現で「その歌ごとの物語世界を描き出す」歌手たちの世界があります。
ふつうの人のなんでもない歌がこころにしみる事だってあります。
一見、通俗的な表現に聴こえる「歌謡曲」も表現者=歌手によってまた違うもののように聴こえたりします。
歌は素敵ですね。いゃー、このお話しは本気で長いものを書かないと伝えきれません。
では、また。

歌手の続き…

さて歌手へのインタビューなのですが、大体どの歌手もラジオインタビューの時は一日に20本前後続けて対応するのです。レコード会社の一室で朝から夕方までやってる。15分刻みで次々にやるのです。
だから夕方になると疲れて来る。それで僕はなるべく午後1時くらいにしてもらいます。
で、どの局とも似たような話ばかりやるんですね。聴かれる事も、まー、ほぼ同じ。そこで歌手には「歌」のマニアックな事しか聴かない事にしています。余りんな事は聞かれないだろうな…と言うものをなるべく選びます。ゴルフがどー、とかは聴きたくない。
歌の表現や楽曲によっての音程とか、工夫とか、節回し、声の使い方とか…歌手も本当はちゃんと「歌を聴いて・歌の事を話したい」のです。歌手の方の個性にもよりますが、やはり「え、そんな事を聴いてくれるの…」と喜んでくれます。芸達者な方にはその芸について聞くと「そんな事聞いてくれた人はいない」ととても反応がいいのです。
ただし、新人はダメです。まだ慣れてないし遠慮もある。プロダクションから言われてる事しか答えない。
小田純平さんと言う方がいます。長く作曲家と歌手を続けてる人ですが、歌が実にいいのです。作曲も最近は売れている歌手のものでヒット曲も増えています。
「三年待ち屋」と言う楽曲でいいなー…と思ってインタビューしました。こんど12月3日に函館コンサートをやるんだそうです。愉しみです。また、続を書きますねー。

歌謡曲・歌手・歌の表現

ラジオのパーソナリティーなんてものをやってると…って、もともと歌謡曲が好きで、歌についての考現学的なトークが好きだったので始めてしまったのです。
んでね、長い事やってると嫌でも歌手や歌の表現について沢山の事を知ります。また歌手の方々とも知り合うのですね。
始めてまだ2〜3年目くらいの頃、原田ヒロシと言う歌手のアルバムを聴いてとてもいいなー…と想いインタビューをしました。それがご縁で函館での初めてのコンサートの司会もしました。その時、無謀にも「歌謡ステージ」の構成というヤツをやってみたくて、ステージの進行台本を書き、どの楽曲をやるかを決めたりと…実に面白かったのです。僕自身、歌謡曲歌手の司会も台本も初めて…よくまぁやらせてくれたものだと思います。
このときリハーサルってものがありますが、いまでも僕はリハーサルが苦手。本番よりてれくさい。だから、なんだかボロボロで、原田さんもマネージャーも顔面蒼白!! 本番は上手く行ったのです。
何故かリハの方があがる、本番はどんなものでも上がった事が無い。ま、余談でしたね。
ついで函館出身の女性歌手・暁月めぐみさんの函館の仕事をいろいろやらせてもらつたりとか、さまざまな歌手のインタビューができたりとか。その中でこちらから頼んでインタビューをして頂いた方も居ます。大体は向こうからキャンペーンの一貫で依頼が局に来てやるのです。
やはりさまざまな方の個性があって面白い。以外なくらいノルと沢山いろいろと話してくれるのが大川栄策さん。
サービス過剰気味なのは冠二郎さん・松原のぶえさん・小林幸子さんでしょうか。
石川さゆりさんは負けず嫌いの性格がとてもすぐ出る方でした。
続きはまた。

床屋・散髪屋・理容院…の話

知人がブログに床屋さん…理容院の話を書いていたので、僕も書きたくなった。床屋って、一度決めると結構長い期間そこに通うものなんです。
昔、これもある人に聞いて上手だよ…と言う床屋さんに行っていた。ま、下手ではない。困ったのは滅多やたらにおしゃべりなのだ。サービスのつもりだろうが間断なくさまざまな話をする。ときおり相づちをうつしかない。返事を求められる事もある。
僕は散髪のあいだは黙っていたい方なのです。まいったなぁ…と思い、ついに別の床屋さんに行った。特に理由もなく、便利な場所だと言うだけで選んだのですが、これが良かった。こちらから話かけでもしない限り、「どんな具合に刈りましょうか」と行った事以外はなにも話さない。文字通り黙々とやってくれる。
僕は椅子に座り、仕上がりの大体の感じを話すとすぐ眼を閉じて黙っている。時に軽く居眠りもする。床屋さんも「洗います」くらいしか言わない。実に静かに進行して行くのです。もう10年近くか、それ以上そこだけに通っています。
これも昔、一度、始めての床屋さんに行きました。どうしましょうか…と言ったあとも、初めての客と言う事で「お仕事は」とか「お名前は」とか「お住まいは」とかもう、やたらに話かけてくるのです。
もともと短気だったので(その頃は若かったしぃ…)ついに「ここは身元調べしなきゃ髪を刈らないのか、どこの誰だろうが、ちゃんと髪を刈ってくれればいいんだよ」とどなってしまい。「途中でもいい、お金は払うからむここまでにしてくれ」と…出て来てしまいました。いやはや…思い出すと恥ずかしくもあるのですが。
散髪・整髪ひとつにもなかなかねー、気に入った所に出逢うのは大変です。
やはりカットが実に上手くて、伸びた時も具合がいいので美容院にいってた時期もありますがそこはカットは男性オーナーがやるのです。でも洗髪とかは女の子。で、店に入った時の出迎え方とか、洗髪の時のお決まりトークって言うかマニュアルトークが馬鹿っ丁寧で、居心地悪くてねー。
やはり現在も行ってる「黙々と散髪が進行する」「手短かに必要な事だけ言ってくれる」って言うのが一番ですね。

まー、今夜は涼しいのです。

函館。ここで暮らして21年目つて事になるんだよね。まー、いろいろな事があった。悪い事・思わしくない事・イヤな事・困った事…ってろくな事はないなー。ハッハハ、ソリャーネー良い事・嬉しい事・幸せな事だってありましよ。悲喜こもごも、禍福は糾える縄の如し…ってなものですね。
閑話休題、あだはしごとはさておきつ…例によって唐突な話題転換です。ラジオ番組なんてものをやるようになってなーんと19年。こんなに長くやるって思わなかった。最初は45分番組、それから1時間・1時間30分ついで2時間…あとは3時間から4時間そして5時間と番組時間がのびていきました。もっとも長いのは6時間ってのが1年間ありましたね。これはさすがにキツかった。6時間をひとり喋るっつーのはいろいろとコーナーに工夫をしてもなにしろひとりだからねー、そんなに変化はない。いろいろと他の登場スタッフなども入れ込んで、楽しい内容とリズムを作らないとねー。まぁ、僕自身はいいのですよ。ただ聴いてる方々がね、僕の好みの話題を楽しんでるとはかぎらないですからねー。で、いまは4時間で、これまでで最も薄味じでしょうか。局から指定のコーナーがおおいし、中継もあるし、以前のような歌謡曲主体・マニアックな歌へのアプローチもあまりできないもんだから。
でもなんとか設定の中で面白くしよう…と思案中です。
と…今夜はここまで。では、また。

港街のお話し

物心ついた頃…明瞭な記憶が始まる年頃に住んでいたのは熊本の小さな港町。熊本県・宇土半島・有明湾に面した
三角町(みすみ-ちょう)天草や長崎への、余り大きくもない連絡船が発着する埠頭でよく遊んだものです。
海の町でしたが、山が迫り、平野部は少なかったのです。小学校は山の上にありました。山道づたいに歩くと中学校があり、その校庭からは真っ青な海が遥か遠くまで見えました。
同じ町でも方角が変わると海はまるで違うもののように色を変えたのです。それは現在天草5橋の1号橋がかかる西港地区の方向でした。
この西港が明治以来の文化集積を持つ、趣き豊かな古い町と知ったのは随分あとの事です。
次に移り住んだのは福井県の、これはまことに小さな漁村でした。ただ、見事な広大な砂浜が近くにあり、映画のロケなどにも使われたもののようです。その漁村は名勝・東尋坊の近く、これは表情豊かな荒波打ち寄せる日本海でした。やがて温泉町に移住したのですが、進学した高校が北前船の根拠地でもあった三国港であったためまたしても海との縁が続くことになったと言うわけです。
上京して住んだのは横浜。青春の横浜です。青春期の淡い哀しみも、嬉しい記憶も横浜の港と元町、山手の坂でのシーンばかりです。山下公園やグランドホテル、大桟橋、本牧埠頭…横浜は実に忘れ難い街です。
実は僕の母も小学生から女学校卒業までが横浜でしたから親子2代で横浜住まいとも言えるのです。
そして…いろいろあって…函館住まいも20年になります。人生で最も長く住んでいる街です。
港町に縁の深い人生でもあるのですね。
浜辺・潮騒・桟橋・鴎の影…人生のBGMは寄せては返し、寄せては返す…微かな波音だと思えます。

海霧・小雨の函館叙情

毎年、6月には海霧がもののけのように箱館山とその山麓一帯の街区を押し包みます。
霧の濃い時には、ほんとうに数メートル前方も見通せないくらいの時間もあるのです。
こんな時、この元町界隈の坂の街区は、実に不思議な雰囲気にみたされます。
現在の街影に過ぎ去った昔日の、いまはない街影が重なるような錯覚にも襲われます。
濃い霧の中から現れ、すれ違う人影まで、なにやら物語りめかしい気がするのです。
ある若い女性はそんな霧に惹かれて、時折不思議なピアノの音が聴こえる…謎のピアニストがいる…と言う
「霧のピアニスト」なるラジオドラマ台本を書きました。僕は、霧の中を歩き、よく知り抜いた街角に古い喫茶店を見つけ、なんとも言えないレトロな店内と常連客との交流の後、晴れた日にもう一度尋ね探しても、ついに霧の日の喫茶店は発見できなかった…霧が誘いこんだ、幻想の街角の短編小説を書いたりしました。
かくのごとく…って、妙にりきむ必要はないんですけど、函館の霧の日はさまざまな想像をふくらませるのには最適なんです。
さて、小雨です。
静かな小雨の日、周囲もそれほど暗くならない、街中が静謐な心地よさを醸し出しているような日。
時間までが、その小雨に濡れた石畳の上、十数cmあたりを流れている気がする…そんな日です。
傘をさし、ゆっくりと雨の中を散歩すると異国情緒がある…と言われる元町の一画はいっそう異国めいて
あたかも東ヨーロッパの田舎街ででもあるように感じられます。
なにか生け垣の向こうから茶色の髪の素朴な表情をした少女が現れそうなのです。
ハリストス正教会の前にそんな少女が立っていました。瞳が実に美しい緑色なのです。
少女は通りかかった私になにか話かけました。なにしろハリストス正教会の門扉の所だったので、粗忽にも何んの根拠も無く「露西亜人の少女…」と思い込み「露西亜語は判らないなぁ…」
「あのねー、ニェット…ロシアンズ・ニェット…って(ズ)って言うのは英語だよなー」
少女は何か途方に暮れたような顔をしています。
世界で一番間抜けな顔をしたオジさんと小雨の中の美しい少女…なんと不幸な出会いなのでしょう。
少女はもう一度、ゆっくり話しました。
「あー、露西亜語にも英語に似てる所があるんだ、なんとなく判るぞ。駅に行くにはどちらへ行けばいいのか・私は知りたい・教えて欲しい…と」
単に少女が中学生英語レベルで聴いてくれただけだったのです。
「アハハ…ハハハ。あっちのねー、ダウン ザ ザッツ スロープ・アンド、ターン トゥ ザ ライトハンドサイド・アンド…ユーキャン ルックアット トラムステーション・レッツ…ライドオン トラム…」
たぶんこれで判るんだろーなぁ。
少女は幾分疑わしそうな視線を僕に向けながらも「サンキュー…」と小さく呟いて歩いていきました。
きっと「とんでもない間抜けに声をかけちゃったなー…」と後悔していたに違いありません。
小雨の元町では、こんな事もあるのです。

少年拳銃王…なんてねー。

小松崎茂と言う挿絵画家・絵物語作家の少年拳銃王と言うものがありました。昔の月刊少年漫画雑誌には「絵物語り」って言うのが多かった。時代劇も多かったですね。必ず覆面の主人公でねー。どー言うわけか片岡千惠蔵とか、市川右太衛門とかにそっくりなんですけどね。今頃、こんな時代劇俳優の名前書いても…判んないか。
ま、それはともかく「少年拳銃王」は面白かった。こんなものの影響もあって「ピストル大好き少年」だったのです。コルクに糸がついててポンッと糸の長さだけ飛ぶ、ギッチャンとピストルを折り曲げてバネを掛け直す操作をするブリキ鉄砲でした。あとは巻き玉火薬のブリキ鉄砲に、水鉄砲とかねー。
この辺までは可愛いものでしよ。中学製になってた頃に望月三起也の漫画「ムサシ」が良かった。南アメリカ・ブラジル移民と山賊ゲリラとの闘いなんです。陸軍26年式拳銃と言う中折れ式リボルバー2丁を腰のホルスターに差しているんですが、普通と違って銃握が逆に向いてるのを、左右の腕を交差させて早撃ちをするんです。よく考えたら、これってとても難しいんですけどね。
この辺りから本格的なモデルガンマニアへとまっしぐら。「忍者部隊・月光」のテレビドラマ版に登場するサイレンサーつきのモーゼル小型オートマチックが欲しいとか、アメリカの潜入捜査官を描いた「タイトロープ」で使ってるこるとデイティクティブ2インチが欲しいとかねー。もう、単なるおバカな子供だったのです。
日活映画の渡り鳥・小林旭もこの2インチ・リボルバーが決まりでしたね。
スナップノーズとも呼ばれる銃身の短い回転式拳銃はいまだに好きなんです。
ついで007ジェームス・ボンド使用のワルサーPPK32口径とかねー。最初ボンドはベレッタ22口径を使っていたのですが小説3作目で「あまりにも威力が無さ過ぎる」と銃器係に言われてワルサーに変わるのです。
あとは西部劇に登場するコルト45ピースメーカー(これも銃身の長さで3種類あるだよーん)さらに保安官ワイアット・アープのバントラインスペシャルって言う馬鹿長い銃身のものとか。
さらに「深夜プラスワン」と言うハードボイルド小説に登場するモーゼルミリタリー。まーきりがないんですけどね。コルトガバメント45オートマチック119タイプは当然の装備品。なーにが装備だかねー。
ウィンチェスター73なんて、俗に言う「ナガモノ」も持ってたなー。あー、ルガ・ネイビータイプ長銃身もあった。よーするに、…って何が要するになんだか…ガンマニアだったのです。

少年、忘れやすく…

少年老い易く…と言う格言と言うか漢詩がありした。団塊の世代である僕も老い易く・学成り難い…そのまんま60歳を越えたってわけです。
ふと、想い出して見ると、僕が小学校5年生まで、当時住んでいた熊本県の小さな港町ではかまどでご飯をたいている家は普通に数多かったものです。だから、我が家は炭と薪、練炭などの販売もしていたのです。
薪の配達のお手伝いなんかしていましたからねー。
当時、小学生の映画料金は30円とか40円。赤胴鈴之助・月光仮面・紅孔雀・笛吹き童子・スーパージャイアンツなんてものを見たのです。
スーパージャイアンツは(ひとりなのに複数のジャイアンツと語尾がツなのです)宇津井兼と言う俳優(泉ぴん子の出る有名な渉世間は鬼…ドラマにお爺さん役で出てる人)が全身白いタイツで金の縁取りマントで空を跳んでいました。凄いでしょ。漫画は海底人8823(これで…ハヤブサと読むのです)を書いていた久里一平・吉田龍雄の兄弟でした。高丸菊丸ってのもあった。戦国時代なのに潜水艦まで登場するのです。
この頃の少年向け東映映画の時代劇は「なんでもあり」でした。アラビアからモンゴルまで舞台として登場しました。ピーターパンみたいな衣装の中村錦之助とかねー。
まー、無邪気に見てたものです。「怪人20面相シリーズ」つまり少年探偵団が出て来るもの。その「少年探偵団」のBDバッヂとか少年探偵手帖がほしかったものです。ボーイズ・ディティクティブの頭文字なんですよ。
僕は懸賞に当たってこれが貰えたのが無類に嬉しかったものです。
まー、相変わらず、唐突に少年時代の想い出話しでした。

ラララ空を越えて…

鉄腕アトムがたんじょうしたのは2010年と言う設定でした。少年の頃「21世紀」と言う言葉は単に、「とても遠い、遥か先の未来」と言う意味しか感じてなかったものです。
昔のまんがには「途方も無い未来のおはなし」が描かれていました。現在、その21世紀にいるわけです。漫画に描かれた「未来にはね、こんな事だってあるかも知れない」と創造されたさまざまなモノのほとんどが実現しています。
漫画に登場した21世紀人って、現在の僕らの事なんです。
昔むかし、「未来には科学の進歩によって多くの人々が幸せな、理想的な暮らしをしている」はずでした。
けれど、人類の不幸は、不幸である地域や日々との苦しさは、誰も描ききれなかったほど深刻です。
科学技術や経済発展は「人々に幸せを約束している」はずだったのに…です。
よくよ考えてみれば、経済発展、経済そのもの、企業の利益追求の方法と目的は、「利益の増大・他社を滅ぼし、事故が発展する」ただそれだけなのです。
ついでに言えば民主主義とかも「ある、一つの方法論・手法」にすぎないものです。経済発展や民主主義が=幸せや平和を約束しているわけではないのですね。
幸せや平和に到達する、或は実現する「いくつかの方法のうちのひとつ」に過ぎないものなのです。
経済思想」と呼ばれるものの「現在の実態」は第二次世界大戦の終了後にはからずも優越的な立場に立った「アメリカ型経済システム、またはその考え方」が「発展し、複雑化しただけのもの」なのです。
古典的経済理論は、あるいは実体的経済経済論」は過去のものに押しやられ、「投機的」つまり「トリッキーな投機的ビジネス手法」がまるで「立派な、進歩的経済行動」であるかのようになってしまいました。
この経済手法は「少数の胴元だけが常に儲かる」と言う、まー、実にラスベガスカジノ的経済手法なのです。
悲劇と苦しみを激増させながら現代人・21世紀人が安定的な「新しい人類規模の経済システムと、そのルール」を獲得するのはいつなんでしょうね。く

今夜は涼しいのです。

なーんか、まだFC2のこのブログの機能って言うのか、操作がよく判らないのです。ほんとはタイトルフォトも変更したいのでず、どーしても出来ない。まぁ、猫は好きなのでいいんですけど、妙にのどかで、幸せすぎる雰囲気がそぐわないなーと思ってるんですよね。
函館は実に不思議な街で、雑駁な、日常生活感も漂っていて、ほんとうに昔ながらの建物・街並はギリギリまで減少しているんです。新しいショッピングモール、煉瓦倉庫を改装したショップとか、ガラス工房とかの内容だって、特に港街とか函館の歴史・文化との関連性を意識してるわけでもない。ことに雑貨製品で地域特性をたくみに活かしたものと言うのもない。
でも…それなのに…この街が本来持っている不可思議な物語り性とか、非日常的な「なにか」はまだ、あるのですね。これは函館山とその麓一帯の街区構成と函館湾との距離感、景観的関係が絶妙な事も大きな要因ですねー。
夜景も、中央がくびれた砂州が創り上げた、特異な形状があればこそ他に類を見ない美しさが生み出されるのです。
じょうずに、たくみに、賢く総合的な「創造的開発・創造的街区の創出」を続けて行けば、函館の観光は大きな可能性があるのです。北国・雪国・海峡・歴史と文化…函館が本来所有している価値はまだまだあるんですよね。
子供や孫にとって人生の魅力的なステージとなる街づくりを本気でやれば、函館はいつも「創造可能なフロンティア」なんだと…思うんですけどねー。

若林ケンの歌世界

僕の作詞作品「恋歌を唄う男」をさまざまなステージでプログラムの1曲として歌つてくれている若林ケンのDVDが到着。感動・感激でしたね。歌は表現。そこにその歌手ならではの物語りが、風景が、歌の主人公たちが描き出される若林ケンの歌唱は見事。これに近い人に亡くなった浅川マキがいます。歌謡曲出身であきれるほどの幅広さでさまざまな表現を可能にしていたのはちあきなおみです。これに比肩し得る人たちももちろんいますが、なかなか簡単にそんな歌唱のシーンに出逢えない。ジャズやブルース、シャンソンのそれぞれの本場にはもちろんいるのです。
日本の歌謡曲が、日本のシンガーたちが本当に歌唱世界を描き出すものをもっと聴きたいものです。
ここでふれられないけれど普通の歌謡曲歌手も過去の人、現在活躍中の人にも、じっくり聞き込むと「凄い上手さだ」と思える方はいるのですが、残念ながら日本の芸能マスコミはそんな事はとりあげない。
ラジオやテレビでも本当の歌とシンガーについてきちんと聴かせてくれるものは無いに等しい…と僕は勝手になげいているのです。
えー、今夜も唐突な話題でございました。
「函館幻想散歩」が本来の内容で書き込むのはいつの事やら。

胸中多忙…五里霧中、茫然自失…ともかく暑い…と

まー、ホッカイドウの暑さでまいってちゃ、話になんないけど、暑いものはねー、暑い。函館暮らしも20年を越えようと言う現在、身体も北国仕様になってるから、暑さに弱くなってます。ハッハハ、まぁ年齢の所為でもあるんですけどね。で、まぁ、いろいろと多事多難なわけですよ、目下の所。んーだもんだから、暑さがよけいに精神的にこたえるってものなのです。作詞なんて趣味もあるんですがー…唐突な話題変転。
東京・新宿でペイトンプレイスと言うシャンソンバーもやってる歌手・若林ケンさんが僕の作詞作品をステージで歌ってくれてるんですね。
で、そのカラオケっつーのを僕宛てに送ってくれたのです。どーするのかって言うとー…ムフッ…僕も函館某所で歌っちゃおう、と言うなんとも恐れを知らない、はた迷惑な事をやる予定なんですよー。
歌がうまくて、イイ男のプロ歌手がメインではあるのですがー。
で、これわ毎月の定期ステージにしてですねー、毎回、僕も2〜3曲歌ってしまうと…。このとしだもの、遠慮しているゆとりも、残り時間もないんだもん。
やりたい事はやっちゃいたいんだもんねー。
と…こんなわけです。
函館は本町の「函館倶楽部」と言うミニクラブ風のバー(スナックって言うのか)でございます。
8月は27日の、第一回目はお昼2時から。
ここで、こう書いてもなーんの宣伝にもならないけど。
歌はすきなのです。聞くのも、歌詞を書くのも、歌うのも。歌謡曲大好きオジさんですね。でも…演歌じゃないなー。と、今回はここまで。

ともかくブログを始めて見ます…と

函館幻想散歩。どんなものになるんだか…。最初は日常雑感が多くなっちゃうよーな気もするんだけどねー。始めるって言う今、って言うか今夜は、妙に疲れててねぇ…意気込みとはウラハラに余り書き込む内容を整理してる訳じやないんです。
函館はご承知のように観光都市ですけど、「観光」の内実は余り芳しいものではないのですね。それでもわずかながらかつての「古き良き時代の面影」はある…と。かなり空想・幻想の胸中のロマンを働かせて、きめ細かく歩き回ればそれは発見できるものなのですが。
例えば小雨に煙る街・もののけの様に海から海霧が押し寄せるような、そんな日の街・雪に埋もれた夕暮れなど、函館にまだひっそりと隠れている物語を紡ぎ出す妖精たちがふとその姿をかいま見せる一瞬に出逢うにはゆっくりと、幾度も街を歩き回って欲しいだと思っています。
「ロマンの街」とよく言われますが、「ロマン」は尋ねる人の胸中にあるもの。それが街に遺された「なにものか」と感応する時に街に隠された「隠し絵」のような「浪慢物語り」は微かに姿を見せるのです。
時に煉瓦塀の影に、埠頭の倉庫の路地に、坂道の古錆びた洋風建物の隅に…その物語はあります。
なんて事を…綴ってみたいと、まぁ、思ってはいます。
今後どんなものに成るのか…と言うより続けられるんだか、どうだか。
寂しい男がひとりいて…日ごと、夜毎、書き連ねるブログなるものをお読み頂ければ、こりやまた幸いの突き当たりってなもので、宜しくお願い致します。
プロフィール

テディ・グレイ

Author:テディ・グレイ
テディです。団塊の世代ど真ん中と言うヤツですね。つまりはジジイなんです。好き勝手な、発作的な、唐突な話題を展開するとおもいます。面白がって頂ければ幸いです。オブジェ制作・写真撮影・雑文界がなどが趣味的仕事です。冗談の好きですが、冗談は人生だけにしとけ…と言われる、そんな人格です。
成熟した大人の部分はほとんどありません。ガキのまんま、年だけ食ってると言う始末の悪いタイプです。
外面は良いのです。と、言って特別ワルい性格でもありません。
ともかく、よろしくね。

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